大判例

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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)206号 判決

控訴人 大熊吉松 外一名

被控訴人 佐藤延次郎

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の供述は、当審において左の如く附加した外、原判決事実摘示と同一(但し、原判決二枚目表末行に賃科は一ケ月金千八十九円とあるのは、金千九十八円の誤記である)であるから、これを引用する。

控訴代理人の主張

一、控訴人大熊吉松が被控訴人に対し、昭和二十二年三月十二日付で甲第一号証の土地賃借書記載の如く、本件土地に賃借期間を超えて存続する建物を建築しないことを約した事実は認めるが、右の意思表示は法律行為の要素に錯誤ある故無効である。

即ち控訴人吉松は、同年春頃本件地上に建物を建築したいと考えて土地所有者の土地使用承諾書を貰うべく被控訴人に交渉したところ、借地権の残存期間が昭和二十七年迄しかないから使用させることはできないとて拒否されたが、更に交渉の結果、被控訴人より特に借地権の残存期間を伸長して昭和三十一年九月十四日迄として土地を使用させてやる代り、前記趣旨の約定をし、甲第一号証の書面に調印せよ、これに応じなければ建築の同意はできないと申向けられたので、控訴人はその同意がなければ建築許可も受け得られぬものと思い、止むなく同号証に調印してこれを被控訴人に差入れたのである。当時同控訴人としては、正当の借地権者が建築許可申請をするに当り、土地所有者の承諾が得られない場合にはその旨を具申して許可を受ける途があり、右承諾書の添付は必ずしも許可の必要条件ではないこと、及び罹災都市借地借家臨時処理法の制定施行により戦災地の借地権は一律にその終期を昭和三十一年九月十四日まで延長されたことを知らなかつたのであるが、若し同人にしてこれ等の事実を知つていたとすれば、本件の如き不条理な特約を結ぶ筈は絶対になかつたのである。それ故右特約は法律行為の要素たる前記諸点につき錯誤あるものとして当然に無効である。

二、仮に然らずとするも、右特約は被控訴人の強迫に基くものであるから、本訴においてこれが取消の意思表示をする。

控訴人吉松は、本件土地に店舗を建築して戦前の商売(ゴム靴卸商)を再開しようと熱望していたところ、被控訴人は同控訴人の無知に乗じて、被控訴人の要求どおり前記の如き特約をするのでなければ、本件土地の使用を許容しないと申向け、よつて控訴人をして被控訴人の許諾が得られぬ以上、建物の建築に着手できず、営業の再開もできない結果となつて甚大な損失を蒙るべきことを怖れさせ、これを避けるがため右特約を結ぶの止むなきに至らしめたのであるから、これは正しく被控訴人の強迫による意思表示に外ならない。それ故強迫を理由とする取消の意思表示は有効であり、被控訴人の特約に基く本件契約解除は失当である。

三、以上の主張が採用されぬとしても、本件被控訴人の請求は権利の濫用として許さるべきでない。

昭和二十七年中本件借地の裏側に建築した問題の倉庫は、被控訴人の主張するように借地権の残存期間を超えて存続すべきものであることは、控訴人等もこれを争わない。しかし、右倉庫は昭和二十二年中に建築した表側の店舗に附属する物置を次の如き事情の下に改築したもので、これにより現在のモルタル塗倉庫となつたものである。即ち本件土地を含む一帯の地域は昭和二十五年十一月二十日以降建築基準法による防火地区に指定され、火災予防のため所轄消防署員の巡視を受けたことがあり、その際係官より防火上表側の店舗についてはモルタル(コンクリート)の塗付を、又物置については改築又はモルタル塗付工事をするよう強く勧告された。そこで控訴人は物置の用材は粗悪で且つこれに収容する商品の扱量も増大していた関係上、既存の物置を取毀して改築するに如かずと考え、モルタル塗二階建(但し中二階程度のもの)本件木造倉庫を建築したのである。右倉庫は特に堅固な構造という程のものでなく、昭和二十二年中被控訴人承諾の下に建てられた表側店舗と較べてこれと同等以下の材質、耐久度を有するにすぎず、防火地区における木造家屋としては法規上許される最低限度の簡易な建物であつたのである。それ故被控訴人主張の特約が仮りに有効であるにしても、このような事情の下に行われた右物置の改築工事は全く止むを得ざるに出たものであつて、被控訴人がこのことを捉えて特約違反であると主張し、控訴人を永年使用の借地より放逐しようとするのは、全く権利の濫用というべきである。

被控訴代理人の主張

一、被控訴人は本件土地を将来自ら使用する目的で、前所有者大鐘あぐりより昭和十六年八月二十八日買得し、控訴人大熊吉松との間に賃貸借関係を承継したのであるが、昭和二十年の戦災により吉松所有の地上建物が焼失したので同人に対し、賃貸借契約の合意解除並に土地明渡方につき交渉したところ、遂に諒解を得るに至らなかつた。そこで昭和二十一年春頃両者談合の上、改めて借地権の残存期間が昭和二十七年六月末日であることを確認した上、控訴人吉松において期間満了の際異議なく借地を明渡すべきことを確約し、且つ明渡に際して生じうべき種々の紛争を了め防止するため、右期間の点を除いて本件特約と全く同趣旨の約定を締結し、被控訴人はそれと共に同控訴人の求めるまゝに建築同意書に押印して渡したのである。然るに昭和二十二年三月頃に至り、控訴人吉松より罹災都市借地借家臨時処理法の施行による借地権の期間延長を理由に前記約定の改訂方を申入れて来たので、被控訴人もこれを容れ、法規の定めるとおり昭和二十一年九月十五日より十年間賃貸借期間を延長することとし、その他は前同様の約旨なる本件甲第一号証の土地賃借書を差入れしめた次第である。従つて控訴人吉松が右甲第一号証の書面に調印するに当つては、何等誤解若しくは錯誤等のあるべき筈なく、その間控訴人主張の如き強迫の事実も存しない。

二、本件土地が昭和二十五年十一月二十日建築基準法の施行に伴い防火地区に指定されたことは認めるが、このことは従前より地区内に存する建物の存続につき何等の制限を加えるものではなく、しかも本件建物は土地所有者たる被控訴人に無断で且つ所轄官庁に対し無許可無届にて建築された不法のものであるから、防火地区指定を理由に改築したとて、到底特約違反の責を免れしめるものではない。被控訴人の契約解除はもとより当然の措置であつて、権利の濫用ではない。

三、しかも賃借人たる控訴人吉松は、自身千葉県市川市に隠退生活をしながら、控訴人大熊貞次郎をして本件地上に木造紙葺平家建店舗一棟建坪十六坪を建設して、独立にゴム製品卸販売業を営ましていたのであるから、そのこと自体本件土地を右貞次郎に転貸したものであること明瞭である。被控訴人は右不法転貸を理由としても契約を解除したので、これによつても賃貸借契約は終了した。

証拠〈省略〉

理由

東京都中央区日本橋久松町二番地所在宅地三十坪六合二勺は被控訴人の所有に係り控訴人大熊吉松がこれを被控訴人より昭和二十七年六月末日までの約定で普通建物所有の目的を以て賃借していたところ、昭和二十年戦災に逢いその地上建物を焼失したこと、その後昭和二十二年三月十二日付を以て両者の間に、右賃貸借の期間を昭和二十一年九月十五日より向う十年間と定め、期間満了と同時に異議なく借地を明け渡すべく、右地上には残存期間を超えて存続すべき建物を建築しないことを約する書面を作成して、その旨特約した事実は控訴人等の認めるところである。しかるに控訴人吉松が昭和二十七年五月頃被控訴人の承諾を経ずに右借地上に賃貸借の残存期間を超えて存続すべき木造モルタル塗瓦葺二階建倉庫一棟建坪六坪二合五勺二階六坪二合五勺の建物を建築したこと及び被控訴人が昭和二十七年十月三十日付翌日到達の書面を以て同控訴人に対し、特約違反を理由に賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、これが亦当事者間に争を見ない。

控訴人等は右の如き趣旨の特約は、借地法第十一条により無効であるから、これに基く契約解除も失当であると主張するので、先づこの点につき審究する。思うに建物所有を目的とする土地の賃貸借において、借地権の消滅前建物が滅失した場合に、借地権者が残存期間を超え存続すべき建物を築造しようとするのに対し、土地所有者の側で遅滞なく異議を述べたときは、もとより借地法第七条の期間更新に関する規定の適用を見ず、借地権は本来の存続期間満了と共に消滅すべきこと明かであるが、右異議の述べられた場合と雖も、借地権者は契約に定めた用法に従う限り、その工事を続行して土地の使用収益をなすに妨げなく、土地所有者も建築工事を差止める権限を有するものでない。しかして借地権が存続期間の満了により消滅するに至つて、借地上に建物が存する以上、その築造に対し異議が述べられた場合であると否とを問わず、借地権者は同法第四条により契約の更新を求めうべく、自己使用の必要その他正当の事由がなければ土地所有者としてその更新を拒絶することはできず、更に契約が更新されない場合には、借地権者において土地所有者に対し建物の買取請求をなしうるものと定められている(但し当該建物の築造に関する諸般の事情に徴し、右買取請求をなすことが、信義則に反し、権利の濫用に亘るものと見られるべき場合はこの限りでないが)。ところで借地上の建物が滅失し、借地権者が新に建物を築造しようとするに当り、土地所有者において将来借地権の存続期間満了の際における借地の返還を確保する目的を以て、借地権者をして予め期間満了と同時に異議なく借地を明渡すべきこと及びそれがために残存期間を超えて存続する建物を築造しないこと等の事項を約諾せしめたとすれば、それは借地権消滅の場合における契約更新請求権又は建物買取請求権の前提となるべき建物の存在を阻み、これによつて事実上更新請求権や買取請求権の成立を否定しようとするものに外ならない。若し右のような特約を有効であるとすれば、借地人保護の規定たる借地法第四条の適用を容易に排除しうることとなり、その限りにおいて、あたかも借地権消滅の場合に建物が存在していても更新請求や買取請求をなし得ないという特約をした場合と殆ど択ぶところがない結果に帰着する。それ故右特約は借地法の前記規定の趣旨に反して借地人の権利を不当に制限し、これに不利益を課するものとして同法第十一条により無効と解するのが相当である。ところで原審における被控訴本人及び控訴人大熊貞次郎尋問の結果、当審における被控訴本人(第一、二回)及び控訴人両名尋問の結果と、成立に争のない甲第一号証第六号証、右被控訴本人尋問の結果により成立を認むべき同第五号証等によれば、昭和二十一年春頃控訴人大熊吉松は本件罹災借地に店舗を建設して旧来の営業を再開すべく被控訴人に建築許可申請のための承諾の印を求めたところ、被控訴人は「あと何年も無いし、自分の方で使うのだから返して貰いたい」とてこれを拒絶したが、結局借地権の残存期間を限り昭和二十七年六月末日迄土地を使用することを承諾し、同控訴人をして右期間を超えて存続する建物を建築しないこと、期間満了の際は契約の更新建物の買取等を請求せず、地上の建物は無償で収去し借地を明渡すべきことを約する契約書に調印せしめた上で建築の承諾を与えたので、控訴人吉松はこれにより昭和二十二年八月十九日建築許可を受けて本件地上に店舗並に附属の物置を建築したこと及び罹災都市借地借家臨時処理法の施行により罹災都市借地権の期間が延長されたのに伴い、右契約書は昭和二十二年三月十二日付を以て甲第一号証の書面に書換えられたが、右は賃貸借の期間を昭和二十一年九月十五日より向う十ケ年とした外は、期間満了と同時に借地を返還すべきこと及び右期間を超えて存続する建物を建築しないこと等その骨子においては当初の契約と同様でその趣旨を受け継いだものであることが認められる。右の経緯に徴するも本件特約をなすに至つた当事者の意思は借地法上借地人に附与された契約更新請求権並に建物買取請求権を事前に排除して期間満了と共に借地の返上をすることを企図したものであることが明瞭である。それ故右は借地法第十一条に該当し、これが違反を理由とする契約解除は効力を生ずるに由なきものというべきである。更に飜つて考えるに、右特約の主眼とするところは、賃貸借の期間満了の際借地人が異議なく建物を収去して借地を返還することを確保せんとするにあつたので、当事者はこれがためその返還義務の実行に事実上因難を来すような堅牢な建物の建築を禁ずることを合意し、契約書に「借地期間を超えて存続する建物を建築しない」ことなる字句を掲げてこの意味を表現したのであつて、その契約書の文字どおり借地人の建築せんとする建物の寿命を厳格に借地権の存続期間の範囲内に限定し、これを超過することを絶対に許さないという趣旨ではなかつたものと解すべき余地が十分にある。(建物の耐用年限を厳密に借地権の残存期間内に限定することは実際上においても多く困難である。)この事は当審第一回の被控訴本人尋問において「期限が来たら家屋を取払うことを承知なら貸すというと家屋を取払うことを承知しました」と供述しているのに徴してもこれを窺いうべきところであり、従つて当事者は期間満了の際建物がなお建物として残存していることを当然予想していたものと解される。さればこそ、控訴人吉松が最初本件宅地の表通りに建築した店舗については、それが当審における検証並に控訴本人両名の供述により認めうる如く、昭和三十一年九月十四日を以て満了する賃貸借期間を超えて存続すべきものであるに拘らず、被控訴人は当初よりこれを問題視せず、その築造に対し嘗て異議を述べた事跡は認め得ないのである。本件特約の趣旨を以上のように解したからとて、それはやはり借地法第四条に牴触し、同法第十一条によつて無効というべきであるが、今その効力の点を別としても、右資料によれば本件倉庫は建築基準法による防火地区指定後、消防官憲の注意があつたので、控訴人吉松において従来存した物置を改築して瓦葺モルタル塗二階建の建物としたもので、その材料の品質も店舗のそれと略同様であり、建物の耐久度も大差なく、両者共に堅牢な建物とはいえず、その収去に格別困難を生ずることはないものと認められるので、右の如き事情の下にこの程度の倉庫を建築したことは、未だ以て前記特約に牴触する域に至らぬものというべく、結局特約違反による契約解除の主張は、いずれの点から考察しても到底これを肯認し難い。

被控訴人は、特約違反による解除が失当であるとしても、控訴人吉松は被控訴人の承諾を経ずに本件宅地の一部を控訴人貞次郎に転貸し、同人をして右地上に前記店舗一棟建坪十六坪を建築所有して土地を使用せしめているので、昭和二十八年四月十八日付同月二十日到達の書面を以て控訴人吉松との間の賃貸借契約を解除したと主張する故、次にこの点につき判断する。

被控訴人の主張の如く、右店舗が控訴人貞次郎所有名義で届出られ、同控訴人が現に該店舗において自己名義を以て営業しており、控訴人吉松は市川市に隠居生活をしていることは、控訴人等の敢えて争わないところであるが、当審における控訴本人大熊吉松の供述によれば、右建物の建築費は大体同人が支弁し、同人の所有建物として建築したもので、これを控訴人貞次郎の所有名義に届け出たのは、控訴人貞次郎が控訴人吉松の三男であり、長男は死亡し、次男は別に浅草方面で商売に従事している関係上、本件借地において家業を継ぐべき地位にある貞次郎の名義として置くのを便宜とした一家の事情によるものと推認され、この認定を覆すべき資料はない。それ故被控訴人の前記転貸の主張も採用の限りでない。

然らば賃貸借契約の有効に解除されたことを前提とする控訴人吉松に対する本訴請求は失当であり、本件倉庫を所有して敷地を不法に占拠することを理由とする控訴人貞次郎に対する請求も排斥するの外なきところ、原判決が以上の所見を異にし、右各請求を容れたのは不当につき取消を免れない。よつてその余の争点に対する判断をまたず、本件控訴を理由ありとし、民事訴訟法第三百八十六条第八十九条第九十六条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 薄根正男 奥野利一 古原勇雄)

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